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エイガオタの負け犬映画批評箱
今日も今日とて映画が見れぬ。
参照されているニュース◇ 『ゼロ・グラビティ』の科学考証がおかしいところ◇ もう辞めさせてくれッ!『かぐや姫の物語』はこんなに凄まじい現場で作られていた
参照しているアンケート:◇ エイガオタの負け犬映画批評箱◇ なぜ中身のないオタは罵倒に釣られておいて、それに無自覚なの?
参照しているニュース:◇ 「ウルヴァリン:SAMURAI」(米)…「間違った日本」魅力存分◇ ヘビがワニを丸のみ、数時間の格闘の末
「ことを」と「考えてる」の間に「こう」が抜けてる
>どうすれば嫌がるか考えた上でイラつくだろう事を言っているが
>Bは自分の事しか考えていない。
ストーカーのエオタへの妄執の告白です。死ねよ。b
キチガイ君の本音2
>それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
キチガイ君の本音1
いわく世界の常識全てが間違ってるってね。ゆえに=俺だけが正しい。そこに根拠や実証はないのがミソ。
弱者は妄想の中のみで正当化されるので、正当化が目的な以上は事実なんて関係ない。
これがキチガイ君の長文に根拠が一切ない理由(キチガイ君にとって世界とはエイガオタb)。
でも、この考え方は自分のキチガイ度合いが高ければ高いほど、相手を更に否定する必要が出てきてしまうのが難点。
キチガイ君はもはやエオタbを映画オタクとしてすら認識出来ないまでに、エイガオタbを否定せねば何も言えなくなってしまった。
エオタのハンドルネームは作り物、そこで語る言葉も全部フィクション、更に精神病多重人格者のオマケつき。
ここまで相手を陥れないと、比較対象である自分を成り立たせる事が出来なくなっている。
b
罵ったからでしょう。現実でも負け犬だから、オタクの世界でも負け犬だというのは酷い話ですよね。それが真実でも。我ながら(笑)。
で、そういったことを立証するキチガイ君の証拠ログは何度か貼りましたが、その全てが無視されました。さすがのキチガイ君も触れたくない事実なのでしょう。
自身が負け犬だということを自身で言ってるも同じですからね。釣られたことの自己申告にもなりますし。それでも口が滑って3回ほど本音が出ちゃいましたけどね(笑)。
まぁ事実だからこそ、エオタの言ってることが真実だからこそ噛み付いてきたわけで、キチガイ君の心の闇はまだまだ続きそうです。
これからも映画も観ないくせにエイガオタbのことは監視続け、もし空っぽオタク批判があるものなら、すかさす「エオタの自己紹介?」なるレスをつけるはずです。
そのオウム返しこそが、彼の出来る精一杯の行動なのです。弱者は常に選択肢がないという現実です。辛いですね。俺にはカンケーねーけどさ ┐(´-`)┌ b
例えば↑の文章一つとっても、馬鹿アピールごときで精神疾患まで話が飛躍するのが異常。
馬鹿なのに自分をバカだと思ってない奴のがよっぽど異常なのに(異常性を認識できてない奴のが危険)、ただバカを言ってるだけで、しかもそのバカっぷりの原因の一つがキチガイ君本人のコピーライターだの松尾芭蕉などのトンチンカンな弁
だというのに、そういった馬鹿話の具体性には一切関与してませんよね。自分が言ったことなのに!、そこは無視して、相手のみを責め立てる。しかもそれで自分が優位な立場になっているという錯覚が凄い。この現実認識の齟齬こそ異常です。
たかが現実逃避ひとつで多重人格まで話が及ぶのだったら、具体性の無いエオタへの言い掛かりも同様なものとなるのですが、もちろん自分の行った事、自分が発言したことは証拠ログが残っていようが無視され続けているのでそういう事態にはならないのです。
>今回の場合エイガオタ)をフィクション的なキャラクターに自分の中でも押し込めようとする役作りなわけだわ。
こうしてエイガオタbの存在自体も彼には「否定の対象」となることになるのです。自分の敵は全て「存在すらもしてかなった」。これこそ弱者が持つ最大の現実逃避、、、現実そのものが存在してなかったという「現実解釈の否認」です。b
するとキチガイ君は自身のエオタへのフラストレーションをむしろ肯定し、何もできないことを正当化するようになります。ようするに全部悪いのはエオタであって、自分は荒らしや恥知らずな行動をやらされているにすぎないと
考えるようになるのです。例えばキチガイ君の話には具体性が一切無いのですが、こういう自分へのマイナス要素も全てエオタの責任となっているので、第三者的な客観視点による現状改善は望めなくなるのです。
こうなると社会的な価値観を否定したり(長文=内容のある文章ではない。映画批評は偉い行為ではない。4年間続けようが意味など無い。等)、反転した解釈(三段論法、単語一つでも長文に匹敵する等)を行うようになります。
こういった自分の陥っている状態を正当化しようとする願望こそが、キチガイ君がよく使うセリフ「自分の中だけで通用する尺度だけで判断し、その尺度を万物の尺度と勘違いしている」の多用に繋がるのです。
キチガイ君にとっては自分に都合の悪い尺度は全て「相手の中だけで通用する尺度であり」、その尺度が数%ではなくほぼ100%というのが異常性を見出しています。もはや相手を100%否定せねば自分が成り立たなくなっているのです。
エイガオタbというハンドルネームにまで文句を付け出すのが証拠でしょう。エイガオタクが映画批評をしているだけなのに、それすらも否定するのは、そうしないと自己肯定できないからなのです。
いわばエイガオタb批判はそれだけで=自分への肯定行動となっているのです。エイガオタbは元凶であり、それに反対して自分は道徳的に優れているという単純な価値観に支配されているのです(悪じゃないのなら、じゃあ善だという理論)。
キチガイ君が映画に興味が無いのに、映画の話をしてないのに罵倒を書き込む「荒らし」のくせに、ナトリアンで出禁になったエイガオタbの非道徳性を説きだすのは、こういう背景があるからなのです。
矛盾した行為すらも全てエオタが悪いために、いくらでも自分に都合の良いように事実は書き換えられます。話がコロコロ変わってるのにキチガイ君としては全く矛盾は発生してないことになるのです。(続く)b
二行以上の文章を書くと矛盾が発生するという短期記憶障害(今、自分が何を目的として書いているか分からなくなる病気)者。エオタの傲慢さは強さの象徴であり、キチガイ君の情報弱者さは弱さの象徴でした。
ただ攻撃的な面も少なからずあるエイガオタbは、しばしばキチガイ君をイラつかせます。エオタの空っぽオタク批判は的を得ているゆえに反論できません。そしてそれゆえに無力感は次第に憎悪と変わるのです。
ここでキチガイ君が行動的な反動、すなわち根拠や証拠によって直接的にエイガオタbに復讐出来ると、彼はフラストレーションを発散させることが出来るので鬱憤は蓄積されないのですが、ただの揚げ足取りと三段論法では
エオタを論破するまでには至りません。松尾芭蕉やコピーライターを引き合いに出してもエオタに笑われるのが関の山でした。エオタは嬉々としてそれまでの行動を継続し、キチガイ君は憤怒と憎悪を胸に、根拠のない論(=妄想)
をして想像上の復讐によって鬱憤を埋め合わすことしか出来ませんでした。エオタの罵倒にはキチガイ君唯一長文が書かれますが、そこで根拠や証拠のログが提示されることはありません。ひたすらエオタの存在否定と罵倒に終始するだけです。
キチガイ君の心の闇の深さがありありと表現されています。これがキチガイ君を10年ものエイガオタbストーカーに変貌させる要因です。彼の鬱憤はエイガオタbを罵倒せねば晴れないのです。(続く)b
そして掲示板に書き込みするのを「逃避」と一蹴。映画好きなこともキャラクター化の一貫にすぎないんだって。
後半は何を言ってるかサッパリワッカンネーからどーでもいいわ(コイツ、長文書くと支離滅裂になるんだよ)
エオタの存在の全否定来ました!! b
特に今回は「僕エイガオタなんですけど」と、エイガオタをキャラクターとして作りだしてる。
これは今感じている精神的負担をパソコンの前でモニターを観ている「生身の自分」ではなく、掲示板に居る「エイガオタというキャラクター」が受けているのだと心理的に錯覚させてストレスを回避する逃避行動の一つ。
こういうのは匿名よりかはハンドルネームを持つ人が陥りやすくて、一種の多重人格的なところもあるが、なんにせよ逃避の一種。
そういう時の前後の特徴的な書き込みとして、「幼児的・道化的な振る舞いをさせる」というところがあって、つまりその場で発言をしている存在(今回の場合エイガオタ)をフィクション的なキャラクターに自分の中でも押し込めようとする役作りなわけだわ。
こうなってくると、弄っても面白くないんだよなあ。精神がいかれてもらっても困るしねえ。
と、映画箱のエイガオタbに『松尾芭蕉のことでツッコミを入れてきた』人が言ってます。
さすがの俺も松尾芭蕉は異次元レベルのネタ振りすぎて反応できんかったわ。
ラーメン屋のオヤジに松尾芭蕉のことを語って、キョトンとされたら
『自分の中でしか通用しない尺度でしか語ってないことが明らかにされたわけだ』
とか言っちゃって、お前は「中身がない」とドヤ顔するの?
ギャハハハハヾ(≧∇≦)b
ただ得意の三段論法で、、エオタはコピーライターを理解できない→教養が無い=中身が無い→ゆえに映画批評も中身が無い・・・・ってだけは勘弁してくれよ(爆笑)。
この三段論法だとコピーライターに理解がない人間は全員無能の烙印が押されちゃうぜ!!
スティーブジョブズもプーチンも周恩来も松尾芭蕉知らないと、俳句、コピーライター知らないと全員「中身のない人間」になっちゃうよー。
ワンパターンなのも俺をイラつかせるための戦法なの?
ぎゃははははははは b
>新基準を持ち出して矛盾するようなことを言っても自分を信じこんでいる人間が論破されたなんて思う分けないだろ。
>お前を、おちょくってイライラさせるのが楽しいだけだよ。
誰もそんなこと聞いてないんだけど(笑)。
だいたい、それ二回目。なんで何度も言うのか。バカなの?
俺はオマエがそうやって逃げをうつのを見るのが楽しくてしょーがないんだよ。
劣等種が。b
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
オマエの本音。
俺の空っぽオタク14箇条がピッタシカンカンでご立腹。b
それとも、精神負担で幼児退行したか?
ちょっとやり過ぎたかな。
俺はb見たいに「完全論破」とか喜んで、勝利宣言はしていないし、自分の言ったことを翻してなかったことにしたり、理屈の後付けをしたり、新基準を持ち出して矛盾するようなことを言っても自分を信じこんでいる人間が論破されたなんて思う分けないだろ。
お前を、おちょくってイライラさせるのが楽しいだけだよ。
エイガオタbなんですけど、ボク。
( ̄ω ̄;)b
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
勝手な妄想だったら無視すりゃいいのにねぇ(ノ∀≦。)ノぷぷ-ッ笑 b
え?
あると思ってるの。
あんなのただの宣伝。キャッチコピーじゃん。・・・・・頭大丈夫?
俺様がコピーライターなんて虚業を評価するわけねーだろ。死ねよカス。b
それともこのエイガオタbの文章が中身が無いから、反応する君も短文になっちゃうのかな?(笑´∀`)ヶラヶラ
b
コピーライターは映画の多くを一言で表すが、あれも中身がないのか?と。
それは嘘だなぁ(笑)。
>それに誰かを罵るときには、勝手に相手の人生や体験を妄想して罵り、それが事実だと勝手に思い込む姿を見ていると
こっちが↑本音だろ(笑)。
オマエは俺の書いた空っぽオタク14箇条に釣られて、畑違いの箱におびき寄せられてるんだ。
で、それが大正解のスーパーズボッシ!だから怒ってるんだろ(笑´∀`)ヶラヶラ
b
ハァ? そんなの誰も突っ込んでねーよ。
↓
bの文章に語るべき中身がない→だから「短文」になる←
↑
↑
ここね、ココ→→→→→→→→→→→→→→↑
b
ごめんねぇ、ボク、俳句とか興味ないんだよ。
それについてはエオタは無知でいーよ。
ただ得意の三段論法で、、エオタは俳句を理解できない→中身が無い→ゆえに映画批評も中身が無い・・・・ってだけは勘弁してくれよ(爆笑)。
この三段論法だと俳句に理解がない人間は全員無能の烙印が押されちゃうぜ!!
スティーブジョブズもプーチンも周恩来も松尾芭蕉知らないと、俳句知らないと全員「中身のない人間」になっちゃうよー。
。゚( ゚^∀^゚)゚。アーッハハ八八ノヽノヽノヽ b
語るべき点がないから、と言う日常的な日本語すら理解できないところは、流石bのお笑いの才能だわ。
で、ボクはいつそんなこと言ったの?
松尾芭蕉は映画に関係あるの?
松尾芭蕉は批評に関係あるの?
なんでボクが松尾芭蕉を批判する必要があるの?
ああ、松尾芭蕉のことは全く知らないからどーでもいいし、彼がバカでもいーよ。
つーか興味ないんだけど(笑) b
自己紹介おめ
松尾芭蕉以前に短文=中身がないへの説明が全く出来てないってことが問題で、短文=中身がないと言いきったから、それじゃあ短文で表現している俳句には中身がないんだなと言う意味で松尾芭蕉には中身がないのかと聞いたら「松尾芭蕉はバカじゃねーの」と言う。
そしたらすぐに言葉を翻して松尾芭蕉は別とか言い出し、短文でも違うものがあるとか新基準を突如として持ち出してくる。
ここら辺の理屈が手抜き工事加減だよな。ダブルスタンダードと言う感じ。
そして未だに自分に中身がある理由を説明出来てないし、他人を低く出来れば自分に中身があると勘違いしているのだろうか。
俺の中身があることを証明すればとか言うが、俺に中身があろうがbの中身のあるなしには全く関係ないし、bの中身のあるなしは俺の中身があるなしな全く関係ない。
俺が言っているのは、お前にゃ中身がないと言うことだ。
他人と自分が違う独立した存在だと言うことを知らないのだろうか。
自分じゃ何も出来ないけど口だけのダメ人間にありがちなクズ理論に裏打ちされてるから、結局はなーーーんにも出来ないんだよね。
そー言うのをね、理屈倒れ、口だけ男、中身が伴わない人間、空っぽ、人のふんどしで相撲を取る、とか言うんだよ。
ちょっとクズ人間すぎないか?
マジで。
これでエオタをバカにしてるつもりなの?
オマエの中では「自分では何も出来ない」のに他人をバカにすることに疑問はないの?
恥ずかしいキモチは?、現実世界でも相当にクズじゃないと出来ない芸当だぜ、この項の証拠ログはさ。b
ちなみに松尾芭蕉を最初に出したのはお前なので、俺には説明責任はない。
お前がふったから答えただけで、しかも俺は最初から松尾芭蕉は
映画批評と無関係と一蹴している。
お前が短文しか書けないバカ現実を隠すために行った逃げだ。
松尾芭蕉を出さないとエイガオタに対抗出来ないからね。
エイガオタって歴史的偉人と同じ程度の存在なんですかぁ?(笑)
b
君は自分で「語るべき点がない→ゆえに短文」って明言してるんで。
もはや意見は一致してるんで争う理由はないよ。b
基準がぶれすぎてて、意味不明なんだよ。
こうやって、後から理屈を上書きしようとする時点で、最初に説明する能力がない、自分の中でしか通用しない尺度でしか語ってない。ってことが証拠として顕になっているわけだ。
>松尾芭蕉は違うと突如言い出す。
松尾芭蕉は映画批評と全く関係ないのでどうでもいいですわ。
ただ松尾芭蕉の短文=お前の短文、じゃないからね(笑)。
芭蕉の短文が評価されてるのは「彼自身のもの」だからであって
短文=素晴らしい、なんて単純なワケねーから。
お前の短文はただの「便所の落書き」「幼稚園児の絵日記」。
同じ短文でも全く違うから。似てるだけだから。勘違い非道いよ。b
◆語るべき点がないから→短文になる、、、分かる分かる。同意、同意。
・・・・と、これで終戦ですね。
エイガオタbも君が今ログに残した「同じ意味」で「短文=クソ」って発言したので、これで問題は解決だね。
いやー、良かった良かった。
初めてなんじゃないか、お互いに意見が一致したなんて。b
だからお前は自分の中でしか通用しない尺度でしか語ってないんだよ。
お前は短文でしか判断してなかったし、松尾芭蕉をバカじゃねーのといったくせに、松尾芭蕉は違うと突如言い出す。
自分の言ったことすら責任を持たない奴なんだろ。そんなやつに、何の価値があるんだ?
数年やっていても誰一人擁護もしない。誰一人bの文章に価値を見いだしてない。
この時点で、bの文章に何の価値もないことが分かる。
何年やろうが長い文書かこうが価値ないよね。
俺はbのことを考えている。どうすれば嫌がるか考えた上でイラつくだろう事を言っているが
Bは自分の事しか考えていない。本当に俺のことを理解していたら、反応しない。なにしろ自分で「返答がたのしんだろ」と言っているのに、相手が関わって来ることを自ら望んでやってしまう。
bは反論しないと死んじゃう病だからね。
別箱作ってあーだこーだ言うのも、反論したいが、反論し返されるとむかつくから、俺の目につかないところで言いっぱなしがしたかったんだろ。
ここでやれよ。出来ないんだろ。
お前の文章に語るべき点がないから、反応する俺らが短文になるんだよ。
その時点で、b悲惨。と言うか自画自賛の時点で、b悲惨だろ。
b
やっていいかどうかは作り方にもよるんじゃない?
少なくても機能的にはやれるよね
それやっていいの?
なんか毎年作るの面倒くさいから、今年は作ってねーんだけどさ。b
しかもアナは女子小学生六年生とだぜ。
でも、アナは俺観たくねーんだよなー。寝るために金払うのって嫌なんだけど。
ただ前回の映画のときも夕飯おごらされたから、たかが映画一本で1万飛ぶのが嫌なんだよ。
消費税アップ前にハワイアンセンター行きてーのに。
ついでにアクアマリン福島行って放射能あびてーのにー。b