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エイガオタの負け犬映画批評箱
今日も今日とて映画が見れぬ。
項リスト(更新順)
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夫を亡くし、生きる希望を失っていた32歳のシネは、夫の故郷の地方都市ミリャン(密陽)でピアノ教室を開いて新たなスタートを誓う。
だが、ミリャンでも彼女を新たな悲劇が襲い……。監督は「ペパーミントキャンディ」「オアシス」のイ・チャンドン。
主演のチョン・ドヨンが第60回カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞。共演はソン・ガンホ。
絶望に打ちひしがれた主人公シネの心に光明が挿すまでを描いてるんだが、この絶望の描き方にたっぷりと時間を割いていて、もうどうしようもならないという現実を何度も何度も観客に突きつける。
それも静かな日常をして粛々とそれを行うので、映画の時計の針が止まってるかのような静かな流れが人の心をこうも砕くのかと思うと、人の絶望と言うのはかくも恐ろしい。
それを体当たり演技でこなすチョン・ドヨンがこれまた凄い。遠距離、近距離からの1カットが多いんだが(一人芝居も同然)、全ての面で画面から目が離せない。
人間の二面性というのをここまで表現することが可能なのかと思い知らされた。そんなキチガイのような重い空気を和ませてくれるのが間抜けだけど憎めないソン・ガンホで、彼がいないとこの映画を
見るのは非常に辛いものとなるだろう。多くを語らないドヨンの代弁者としてでの存在なのかなと思っていたが、後半にふと思うのは、彼が実は光だったということ。
恋愛劇としてのオチとしてではなく、身近すぎると自分を思ってくれる人になぜか人は気が付かない。映画は何も答えを提示しないが(というか出来ない。答えなんてない)彼には観客も救われるのだ。
タイトルを忘れたが、家族の誰かが死んで家族がバラバラになるんだけど、最後は車の中で皆で打ち解けて終わる映画の浅はかさを反面教師として思い出した(アイスストームだっけか??)。
★★★★★★★★ b
または被害者、加害者という枠組みも神の前では無意味と言うことになる。劇中にも監督はわざわざ「謝ってすむ話か!!」とエキストラに言わせてることからもこのテーマの方向性は明白。
なぜなら神の前に人は皆「平等」だから。俺の嫌いな「人それぞれ論」と着地点が同じで、頭のおかしいクズや低脳なキチガイすらも神の前ではこのエオタと同じで区別がない。これで得をするのはもちろんクソ人間の方だろ。
この世には明確な基準があると俺は思うんだが、区別があるからこそ能力差というのに貴重さが出ると思うんだが、実はそれを全否定可能なのが「宗教」であり「人それぞれ論」。
ただ赦しをこえば、神という存在はただただ受け入れるだけ。ただ人それぞれと言い思考停止すれば、安易に自分が肯定される。これが宗教の矛盾の本質。思考停止を使った救済法だ。滑稽だけど、バカには使える手段だ。
しかし映画をそれを否定する。ただ謝れば何でも許されるのか?、ただ神にすがれば人を救われるのか?、、、そんなものはまやかしだ。嘘だ、と。ある意味、悲しいことなのだろう。何も信じられないということは。
続く。
超ネタバレになるが・・・・・・・・加害者の娘が迫害を受けて人生を狂わせてたことを知り溜飲が下がり、そしてそれを退院の日にめぐり合わせてくれた神の偶然の采配を匂わせ、最後は今まで
自分を見守ってくれた存在と一緒に髪を切る。どれが彼女の心の闇を払拭させたかは明言せず、その全てをさらりと語り、ふと見下ろすと光が地面を指している。
批評家的な視点で申し訳ないが、その計算されつくされた完璧な演出には衝撃が走った。見方を変えても巡って来たのは新たなる絶望だったのだが、闇の中であっても時がすぎれば光はいずれ差し込むのか
または光を受け入れるのは自分次第なのか、はたまた闇が深いとより多くの光を浴びねば人は闇を払拭できないのか? 答えはない。出口のない迷路。人生は残酷だ。それゆえ映画は素晴らしい。
恨みの国韓国で他者を赦すことを基本とするキリスト教がはやっているというのも感慨深い。b
と朝鮮人らしからぬ不自然な顔を見つけ出すのがポイントです。