映画を全然観なくなったエオタによる、枯れた映画批評「2012」
コピーのコピーのコピーが氾濫し、消費することでしか存在理由が見出せないダメコンテンツの旺盛。
それでも人は時間つぶしというお手軽さに色めきあい、グリーやモバゲが金を効率よく徴収するシステムを確立し
それに我も倣えと追随する。断言するが、何かを得るためには相応の時間という対価や素養というものが必要なのだ。
日本の新潟に銃国産ワイナリーが生まれ繁盛しているんだが、そこは団体客禁止、子供禁止と客にルールを強要する。

面白いから、皆がやってるから(再放送のたびに「ラピュタ」を見て喜んでコメントするバァカとか)などとの曖昧な
理由からからではなく、ダイヤモンドは陰影があってこそ美しいとするならば、本物に至る道に影があるほどに、
それは本物足りえるのではないか。ガラス玉を本物と思い込まなくてはならない人間ほど、心のさもしい豚はいない。
メーテルリンクの「青い鳥」では幸せは身近にあるといったが、んなもん外に出るつもりもないブタの逃げ口上だよな。b
(yrloeq) 2011-12-09 09:49:57作成 2025-06-17 18:36:30更新 243投票 63有効票 111気になる 147興味無い 4042参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

戻る投票順更新順
5. 『パピヨン』についてのコメントGoogleYouTube


虫を食うシーンくらいしか記憶に無かったが(TVで死ぬほどやった映画だけど)、まさに男を描いた映画であり、反逆児という意味を心底考えさせる作品だ。
スティーブ・マックイーンがドガに言う「おまえは俺に何の借りもない」という言葉には痺れる。彼はドガを助けるために独房に一年も入り、そこでメシを半分にされ
精神的にも追い詰められるが生還する。なのに彼はドガの感謝の意をはねのける。全て自分の意思でやったことであり、そこにはそれ以外に何もなかったと言い切る。
映画を見て主人公の生き様を「カッコイイ」と思うのは、今となってはもうなくなってしまった感情の一つだということを思い知らされる。
マックイーンは事あるごとに「俺は無実だ」というが、割とそれはどうでもいいファクターで、過去に起こったことを、とやかく言う前に「次の一手」を
考えることこそが生きるという証なのだということに物語は集約される。人の発言を、その過去の背景でしか判別できない人が多い中で、とにかく前に進むという発想こそが
真の自由なのではないだろうか。独房という闇の中で虫を食ってまで生きながらえて、はたして意味はあるのだろうか?
そこに意味を見いだせるからこそマックイーンは自由人なんだろう。運命に逆らうには、まず生きること。そうじゃなきゃ始まらない。
老いてなお世界に挑戦し続けるマックイーンには声援を贈らずにはいられない。自己犠牲では終わらない物語は日本人には出来ないな。
[#1](dmcacw) 2012-10-14 08:16:14

…が、ラストのダイバーで台無しなんだよね。Blu-rayだとスゲー見える。
[#2](suzyov) 2012-10-14 09:01:09
コメント(10行1000文字まで)

画像jpg,png,gifのみ500Kbytesまで

同名の項を持つ箱
◇犬種コン