映画を全然観なくなったエオタによる、枯れた映画批評2011
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1 ストーリー
2 内面・理由・心理
3 テーマ・作者の意図 (インタビューや過去の作品を観る)
4 観客の意見、感想 (誰でもできる)
下に行くに従って、解釈は多様になるが、3層までは観客の解釈の自由はほとんどない。
事実というものがまず存在するからだ。
この部分での解釈の自由を許してしまうと、映画自体が意味の無いものになってしまう。
それは思想の無意味化であり、知能低下や教養の崩壊が起こる。
個人の自由だとか、個性だとかの方便はカスの専売特許というわけだ。     byエイガオタb
(hcnefh) 2011-01-02 08:58:39作成 2025-07-16 19:05:13更新 366投票 91有効票 74気になる 109興味無い 5315参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

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15. 『ソラニン』についてのコメントGoogleYouTube

セリフやキャラが漫画にすっごく忠実に作っていて、比べ厨にとっては大満足なのかもしれないけど、映画の情報量って
漫画の比じゃないんだってことを痛感させられる。とにかく薄い映画だなってこと。いわゆるモラトリアムを軸に青春を
描いているライブ系作品なんだけど、音楽へのシンパシーがとにかく薄い、薄すぎる。
主演の宮崎あおいの歌がドヘタだとか、サンボマスターの一人のクセに実際には弾いてないかのような演出のデブとか
まぁ、あんまテーマにカンケーねーからいいけど、漫画同様に歌に関する部分は省略、省略ってのはダメなんじゃないのかね。
(ラストの死んだ彼氏の残した歌を歌うシーンも、途中に回想ぶっこんでサビを聞かせないってんだからね)
主演陣の演技もまるでダメ。軽薄とまでいわないけど、軽妙すぎて何もリアルが感じられないのに、彼らの共通点である歌は
映画じゃ省略されてばっかなのでキャラへの感情移入に何も足がかりがない。コントのようなユーモアを延々と見せられているだけ。
そんな中で死んだ者と残された者の関係なんて描けるんでしょうか。原作の欠点はまさにココで、このライブは死んだ彼の想いを
断ち切るための儀式でしかなく、歌とモラトリアムの関係にまでテーマにまで及んでないんだよな。b
[#1](bnwlzs) 2011-08-19 06:05:57

漫画にあって、映画にないシーン。
それはかつてのバンドマンが芸能プロダクションのマネージャーになっていて、彼は歌そのものよりもマネージメン優先に堕して
音楽の魂を失っているのだが、それが宮崎あおいの死んだ彼の言動に動かされて、新人発掘のためのライブドサ回りをしていると
主人公たちに告白するシーン。一応、ライブに顔を出すシーンはあるんだけど、映画だけじゃただ偶然見に来たってだけしか受け取れない。
このシーンは原作で唯一、音楽業界に種田の行動が少なからず関わったという証のようなシーンなんだけど、見事に削除。
まぁ、友情の物語で話を終わらせるつもりの監督には、どーでもいーことだったんだろうがね。

音楽映画としてみたエオタbは、この小さなシーンに救われたんだよな。
だって残された彼女は別に音楽の道に進まないし、引越しして友達と永遠のモラトリアムを繰り返すことを宣言して終わるだけだからね。b
[#2](bnwlzs) 2011-08-19 06:29:39
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◇エオタによる、一般人が全く参考にならない映画批評2010