映画を全然観なくなったエオタによる、枯れた映画批評2011
!
1 ストーリー
2 内面・理由・心理
3 テーマ・作者の意図 (インタビューや過去の作品を観る)
4 観客の意見、感想 (誰でもできる)
下に行くに従って、解釈は多様になるが、3層までは観客の解釈の自由はほとんどない。
事実というものがまず存在するからだ。
この部分での解釈の自由を許してしまうと、映画自体が意味の無いものになってしまう。
それは思想の無意味化であり、知能低下や教養の崩壊が起こる。
個人の自由だとか、個性だとかの方便はカスの専売特許というわけだ。     byエイガオタb
(hcnefh) 2011-01-02 08:58:39作成 2025-07-16 19:05:13更新 366投票 91有効票 74気になる 109興味無い 5315参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

戻る投票順更新順
15. 『チームバチスタの栄光』についてのコメントGoogleYouTube


原作未読。ただ原作者であり医者でもあった海堂尊のインタビューは見ていたので作品のテーマは分かっていた。
多くの人が言うとおり本作は犯人探しモノではなく医療ミステリー。
どういうことかといえば医者視点での「現状への考察」が主なのであり、それゆえに人間ドラマや犯人の動機などは二の次どころか
三の次で、竹内結子と阿倍のコメディリリーフで場を持たせているというのが印象。
結果、二時間TVドラマとの差異が生まれず、鑑賞後の満足感はほとんどない。面白くはあるんだけれど。b
[#1](kqxand) 2011-11-08 15:15:32

現在の日本の変死体は殆どが解剖されず、そのままモルグか火葬場に直行なのだそうだ。野たれ死んでいるオッサンは分かるにしても、病院で死んでしまった患者すらも
解剖はされない。遺族から解剖の許可が出ないという理由もあるが、死因を隠していたほうが医者としても訴訟対象にならずにすむし、警察としても不信死を隠すことに
なることで事件性をウヤムヤに出来るので、双方に理がある状況なのが最大の理由(ちなみに訴訟大国アメリカでは解剖は義務化されている)。
しかし原作者海堂はそのことを一方的には断罪してはいない。医者不足からくる現在の医療機器などの、自身も医者だからこその危惧なのだ。

この映画はそのことを規定に作られており、犯人の動機もそれに付随するものなのだが、映画ではそのことがまるっきりシカトされている。
劇中に死んだ患者をAi(オートプシー・イメージング)を使ってでのMRIチェックをすることに、担当医が大声で批判するシーンがあるが、
これなど現状を憂う作者の意図が大きく感じられるシーンなのだ。現在、この作業は一般化しているのだが、解剖をせずに真相を闇に頬むろうとする
現場の隠匿体質を明確に批判している。映画はそういった医療不足からなる医療危機をとにかくシカトするので、緊迫感がなく、マジで厚生労働省の
役人である阿倍の傍若無人っぷりと、それに逆らえないお役所体質の病院をせせら笑うばかりだ。日本映画の悪い癖である、毒を抜いてでの映像化だ。b
[#2](kqxand) 2011-11-08 15:55:27

あと、何度も失敗する手術の事件性を調べるのに、医療に無知なカウンセラーを使うというのが・・・面白味優先なのが分かるんだけど。
映画は一応は「殺人事件」として手術失敗を調べ上げているのに、このいい加減さのおかげで緊張感がないんだよな。
こういう大きなスルー体質が映画にはびこっていて、人が死んでも、犯人の動機が狂っていても、殆ど突っ込みナシ!!

医者が殺人鬼だったら、誰もそいつを捕まえることが出来ないという恐怖を、この映画では微塵も描いてないのが残念だ。
すぐれた脚本なだけに。b
[#3](kqxand) 2011-11-08 16:03:03
コメント(10行1000文字まで)

画像jpg,png,gifのみ500Kbytesまで