映画を全然観なくなったエオタによる、枯れた映画批評2011
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1 ストーリー
2 内面・理由・心理
3 テーマ・作者の意図 (インタビューや過去の作品を観る)
4 観客の意見、感想 (誰でもできる)
下に行くに従って、解釈は多様になるが、3層までは観客の解釈の自由はほとんどない。
事実というものがまず存在するからだ。
この部分での解釈の自由を許してしまうと、映画自体が意味の無いものになってしまう。
それは思想の無意味化であり、知能低下や教養の崩壊が起こる。
個人の自由だとか、個性だとかの方便はカスの専売特許というわけだ。     byエイガオタb
(hcnefh) 2011-01-02 08:58:39作成 2025-07-16 19:05:13更新 366投票 91有効票 74気になる 109興味無い 5315参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

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15. 『猿の惑星 創世記』についてのコメントGoogleYouTube

自アンじゃダメっぽいような評価だけど、かなり良く出来た映画なのは間違いない。
このシリーズは1以外壊滅的な出来の作品ばかりというのもあるが、1の前日話というよりも、むしろ一本の独立作品として評価したい。

主役はアンディ・サーキス扮するCGI猿シーザーで人間でないというが良い。セリフを一切廃した中盤以降の猿ドラマは、ピクサーの「WALL・E」で味わえなかった
演出づくしが堪能できる。幸せ。本作の1との接点は物語的な序章という面よりも、知能の高くなった猿が人間になぜ敵対するようになったかという精神面での
アプローチを重視している点。折を間に介して描かれる飼い主との関係性よりも、仲間を優先せざる得ない方向に追いやられるシーザーの苦悩がよく描かれている。
単なる敵として人間を描こうとせず(クズの動物保育員を描きながらも)、反乱時も人間を殺すのを制する場面を猿側にいれたりして、知性描写が攻撃的でないのが
スマートなのが左翼的で今風か。だから観客は人間よりも猿に感情移入してしまう。ヘンテコ設定でSFに傾倒しなかったのも、この地に足のついた演出に説得力を
持たせている要因に。ただ猿が脱走してから→研究所→町→金門橋と続く暴動シークエンスが娯楽要素優先のために、人間側の行動がヘタレすぎて猿に都合が良すぎに
なっているのが難点かな。ジェームズ・フランコ演ずる科学者を善人としてでしか描いてないために、中盤以降ただの第三者に成り下がるのマイナスだが良いよ。b
[#1](khnqfu) 2011-11-06 17:00:18

[#2](khnqfu) 2011-11-06 17:02:12
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