映画を全然観なくなったエオタによる、枯れた映画批評2011
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1 ストーリー
2 内面・理由・心理
3 テーマ・作者の意図 (インタビューや過去の作品を観る)
4 観客の意見、感想 (誰でもできる)
下に行くに従って、解釈は多様になるが、3層までは観客の解釈の自由はほとんどない。
事実というものがまず存在するからだ。
この部分での解釈の自由を許してしまうと、映画自体が意味の無いものになってしまう。
それは思想の無意味化であり、知能低下や教養の崩壊が起こる。
個人の自由だとか、個性だとかの方便はカスの専売特許というわけだ。     byエイガオタb
(hcnefh) 2011-01-02 08:58:39作成 2025-07-16 19:05:13更新 366投票 91有効票 76気になる 110興味無い 5367参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

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15. 『ソーシャルネットワーク』についてのコメントGoogleYouTube

実名であることが売りの世界最大ソーシャルネットーワークシステム「フェイスブック」創設者マーク・ザッカーバーグが受ける裁判を軸に
過去を振り返るという形式で、その設立時のエピソードに焦点をあてる構成の映画。
自アンのダメ人間連中からは「実名」ってのがまずありえないんだろうが、フェイスブックの強みは実名による嘘のない情報と、他の出会い系SNSと違い
誰でも参加できることにある。オレは自分の思い出アルバムを公開したり、また覗き見したりする趣味は無いのでやってないが、かみさんが死ぬほどやってるので
よーく知ってる。映画じゃあまりフェイスブックそのものの意義については語られないし、どっちかってーと訴訟ネタ以外に、その革新性に触れられていない。
繰り返される「出会い系サイトじゃない」って言い分も、その誕生秘話やオレの経験上からは、やっぱフェイスブックは出会い系の側面は否定できない。b
[#1](iqlder) 2011-01-29 06:24:04

同監督の「ゾディアック」のときも強く思ったのだが、デビッドフィンチャー監督はたいした話の展開もない退屈な元ネタを面白くみせる才能に長けている、と。
裁判はどうみてもフェイクブック創設者であるマーク・ザッカーバーグ氏のが悪く、そのゆくえはあまり重要ではない。むしろ、弁護士に質問をされるときに
彼が垣間見せる、自己中心的な態度、自分の能力への絶対的な自信、そしてなによりも裁判を退屈そうにうける子供じみた態度こそが主であり、ひらたくいうと
ザッカーバーグはガキなのだ、、、それだけでしか、この映画では見せてくれない。ザッカーバーグの家族構成や、その生い立ちには一切映画は触れないんだ。
元々、天才肌だった彼がフェイスブックを作った、その過程で訴えられたが、和解金払って終了。映画はこれしか描いてないのに面白い、面白い。
ひとつにオタクvs体育会系という図式を持ち込み、体育会系の連中をちょっとバカっぽく描いているくせに、彼らを金目当てのコソドロとは描いてないこと。
ザッカーバーグとは別の誠実なる者として描き、それが逆にザッカーバーグの歪さを表現するのに成功している。
しかし、ザッカーバーグ本人も金目当てではなく、むしろ有名になりたいという子供のような願望が見え隠れし、態度は悪いのだが妙に清清しいのだ。
最後に弁護士が彼にいう一言こそが監督のザッカーバーグへの印象なんだろうが、オレもこの映画を見る上ではそう思うかな。
「あなたは悪い人じゃないわ、そう振舞っているだけ。」・・・・・・・損得で物事を考えない人は、心の自由を持っている人は、他人には分かりようもない。b
[#2](iqlder) 2011-01-29 07:00:43
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