これって知ってる?
自分の知っている知識は、世間的には常識なのか否かを問う箱。
知らなかったら素直に「知らなかった」と書いて欲しい。
(lkynbc) 2008-11-15 23:46:06作成 2025-07-06 19:04:20更新 152投票 70有効票 67気になる 60興味無い 5385参照 はてなブックマークはてなブックマークに追加 Twitterでつぶやく

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12. 『「三国志」の諸葛家のその後』についてのコメントGoogleYouTube

兄の謹は呉に、弟の亮は蜀に仕えていました、ってのは三国志ファンなら誰でも知っている。謹には恪という息子がいたこともちょっと詳しい人なら知ってる話。

亮はなかなか子供ができなかったため、謹の次男、喬を養子にしました。喬は若くして病死しましたが、喬が病死する少し前に諸葛亮には実子、瞻が生まれました。やがて亮が病死した後、瞻は多分に親の七光りもあって出世していきました。
263年、鄧艾が攻めてきて蜀は滅亡します。瞻は降伏を拒否し、長男の尚と共に国に殉じて戦死しました。瞻には尚ともう一人、京という子がいましたが、こちらは幼少だったため生き延び、後に晋に仕えました。

一方、呉に仕えていた兄の謹は天寿を全うし、恪が後を継ぎました。が、恪の頃に孫権の跡継ぎを巡って呉の内部で政争があり、恪の家は皆殺しになります。
後に、蜀に養子に行っていた(先述)喬の長男、攀が呉の諸葛家を継ぎました。その後は分かっていません。

たまに諸葛家の末裔がニュースで取り上げられるのは、このどちらかの家系につながると称していると思います。
[#1](sfwnka) 2010-05-11 20:22:53
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