エオタによる、一般人が全く参考にならない映画批評2010
映画を見るたびに思うのは、どうしてこんなにツマンネェ映画ばっかなんだろってこと。
そして、それを喜んで見ている連中の多いこと、多いこと。
こーいう連中が最大公約数の立場だったら、ツマンネェ映画が多いのも当然だよな。
大衆カレー店bの味が「甘い」のは、一番低いヤツにレベルを合わすからなんだよ。
辛いヤツが好きな人でも甘いのは我慢すれば食えるからな。
でも甘党は違う! 食べると苦しいもんじゃ、我慢なんかしないで、ただ食わないだけ。
映画もカレーも甘くなるのは世の常、商売の必定ってことサ。
そして、それを喜んで見ている連中の多いこと、多いこと。
こーいう連中が最大公約数の立場だったら、ツマンネェ映画が多いのも当然だよな。
大衆カレー店bの味が「甘い」のは、一番低いヤツにレベルを合わすからなんだよ。
辛いヤツが好きな人でも甘いのは我慢すれば食えるからな。
でも甘党は違う! 食べると苦しいもんじゃ、我慢なんかしないで、ただ食わないだけ。
映画もカレーも甘くなるのは世の常、商売の必定ってことサ。
さて勝者の物語・・・・で終わる作品かな?
逃げずに、スポーツをもって国を一つにしようとした。そして南アはワールドカップで優勝し、人々は同じ誇りの元一つとなる。
俺はイーストウッドの視点が好きだ。彼が「許されざる者」でみせた悪を断罪するというスタンスも好きだが、まず赦さなければ
何も前には進まないというのもいい。そして、実はそれが一番難しいということを真摯に教えてくれる。
この映画でエキサイティングなのは、ジンバブエが白人を社会から追い出したゆえに荒廃したように、白人を排斥したら南アが
終わるという事実を黒人視点から訴えつつも、映画の主役は白人だという事実だ。そして白人の勝利をもって、黒人の勝利とするオチだ。
空っぽの南アには「誇り」が必要なのだという力説と、「どの神でもいい・・・ありがとう」という言葉にある通り、人々が理性を
持ち前にすすむためには効率論と精神論の二柱がいるのだ。その二つを同時にやってのける難しさ、そして崇高さがこの映画からは伝わる。
b
史実だからということで、どうして優勝したかの友情・努力・勝利バンザイ映画になってないよ。
あくまで主眼は人と人との結びつきであり、それは可能だという理想のビジョン。
映画後半にマンデラのいた刑務所を訪問するシーンが、話を中断してなかば強制的に入ってるのは映画的に失敗なんだろうけど
マンデラを主役にして、独房30年間を無視するのは人としてどうかと思うので良かったんだろう。
苦労なくして、人は理想をもてない。黒人の無知さと、そして白人との対立が劇中にほっとんどないが、この映画は過去を
振り返るものではなく、また考えるものでもない。未来と今のみに注釈した理想的な現実論なのが人々に希望を与える。
大観衆を写すのは誰にでも出来るが、大観衆を外から写し、それを何度も注釈するのは並の監督ではできまい。b