エオタによる、一般人が全く参考にならない映画批評2010
映画を見るたびに思うのは、どうしてこんなにツマンネェ映画ばっかなんだろってこと。
そして、それを喜んで見ている連中の多いこと、多いこと。
こーいう連中が最大公約数の立場だったら、ツマンネェ映画が多いのも当然だよな。
大衆カレー店bの味が「甘い」のは、一番低いヤツにレベルを合わすからなんだよ。
辛いヤツが好きな人でも甘いのは我慢すれば食えるからな。
でも甘党は違う! 食べると苦しいもんじゃ、我慢なんかしないで、ただ食わないだけ。
映画もカレーも甘くなるのは世の常、商売の必定ってことサ。
そして、それを喜んで見ている連中の多いこと、多いこと。
こーいう連中が最大公約数の立場だったら、ツマンネェ映画が多いのも当然だよな。
大衆カレー店bの味が「甘い」のは、一番低いヤツにレベルを合わすからなんだよ。
辛いヤツが好きな人でも甘いのは我慢すれば食えるからな。
でも甘党は違う! 食べると苦しいもんじゃ、我慢なんかしないで、ただ食わないだけ。
映画もカレーも甘くなるのは世の常、商売の必定ってことサ。
超つまんない予告ですね。
でも、決してつまんないとは思わなかった・・・
娯楽映画としては1級と思って間違いない出来だ。日本公開版はエンディングをスピルバーグが改変したヴァージョン。
ホラー映画は怖がらせてなんぼ・・・という考えもあるが、ディズニーランドにもホーンテッドハウスがあるように
ホラーも所詮は化け物娯楽映画の一形態でしかない。そういう意味でこの超常現象(パラノーマルアクティビティ)は良く出来てる。
b
感じるだろうか? 俺は感じない。手ぶれの汚ねぇ映像ごときでリアルが生まれるんだったら世話はない。
この手の映画の持つリアル感とは、ひとえにテンポの悪さと、無駄な人間関係の描写によるところなんだよ。
ブレアは徹底して、ただ罵り合うだけの人間を写した。そして何も化け物を出さない演出が、観客に「何か」を想像する
猶予を与えた。観客はそんな退屈な映画に苦痛を感じるだろうが、その「苦痛」こそがリアルの正体なんだ。
でも、この映画にはそれが全くない。何も起こらない所は早送りされるし、頻繁に超常現象が起こるために退屈はしない。
映画として優れているのだ。フェイクドキュメンタリーとしては落第だが、俺は、これこそ娯楽映画の本道だと思う。
この映画は一人称を多用しない。カメラの目線が登場人物のものではないので、ラップ音後の一階探索や、屋根裏探索という
怖すぎるイベントに自分視点をシンクロ出来ない。b
見えない化け物が寝室にいるというのに、登場人物たちは寝室から出るわけでもなく、むしろ寝室に留まろうとしたり、
所々に「この幽霊はしょせんは何もできない雑魚」「そのうち消える」という登場人物たちのどこか他人ごとな感があって
映画からは彼らの人間関係の破滅は聞こえてこない。ゆえに心理的な圧迫感は生まれてない。
しかしだ。映画は面白いんだよ。
それは男の主人公がこの現象に興味を持ち、あらゆる科学を使って検証しようとする態度が理性的で、観客をイラツかせないからだ。
「この家から逃げるしかない」「悪魔払いの霊媒師」というキーワードも出てくるのが早く、やらないのではなく、やろうとしているが
それなりの事情で出来ないという脚本がいい。そうした中で何が待っているのか? 観客は物足りなさを感じる前に、この映画の結末を
強く求めてしまうだろう。だがオリジナルエンディングのが数倍素晴らしいので、スピルバーグは余計なことをしたとは思うな。b
エンディング1:ケイティが一階に下りて絶叫後、ミカがかけつけるが、包丁で逆に殺されてしまう。
カメラの前にきたケイティが自らの喉笛を包丁で掻っ切っておわり。
エンディング2:ミカが殺されるまでは同じ。ただケイティはカメラの前で、ベッドによりかかって座る。
数日後、心配に思った友人が家を調べに来たらミカの死体を発見。
警官がかけつけ、包丁をもったケイティを射殺。
どっちもケイティが死ぬ。日本公開版は続編のためにネタを残した。あー、商業主義ってつまんないね。b
ケイティが生きてりゃ、ネタは続かせられる。b
キューブやブレアウィッチみたいに、やっぱ2でクソになるんだろうか。